月別アーカイブ: 2009年1月

2009年01月31日

能 狂言 京舞のコラボ

能 狂言 京舞

一日中雨降りの暖かな京都でした。今日 南座で
〝能 狂言 京舞〟のコラボレーションの会が開催されました。
能は片山 清先生 狂言は野村 萬斎さん 京舞は 井上 八千代家元
でした。最後の〝邯鄲〟がコラボで三名の他 祇園の芸妓も参加しました。
竜宮城のような衣装を着て夢の中の物語に登場しました。良いとか悪いとか
初めての出し物なので、めづらしかったです。でも〝邯鄲〟なのです。
劇場両桟敷席には、祇園の舞妓 芸妓が衣装を付けて勢揃い。圧巻でした。
これだけでも値打ち物です。

2009年01月30日

白洲次郎と白洲正子展

1/28~神戸大丸ミュージアムで〝白洲次郎 正子展〟が開催
されています。今日 ウィークデイにもかかわらず満員でした。展示物も
覗くことも進む事も出来ず、大変でした。結構 年輩の女性が多かったのには
驚きました。ハンサム白洲さんに憧れているようでした。カッコいいですよね。
洋服 LVのスーツケース 手紙 などなど。〝武相荘〟での生活用品や家具
おじさまのお知り合いとご一緒に行きましたが、二人で〝ここ(頭の上)におじさまが
いらして、おい こんなの見に来るな 早く帰れよ!〟と、怒鳴られそうですね。
と、二人で笑いながら、見ていました。なんだか〝おじさま 丸裸〟にされそうでしたね。
ちょっとお気の毒 でした。

2009年01月29日

ピーターと魚津屋で

魚津や

2009年01月29日

白洲正子さんお勧め店

10数年ぶりに〝魚津屋〟さんにお食事に行きました。当時
白州正子さんお気に入りのお店として紹介され、わたしもミーハで
行き久しぶりでした。食材のうまみを上手く生かし食します。
〝塩ポン酢〟なーんて初めてでした。ゆずの絞り汁に塩を調味
するようです。白洲正子さんは、広い床のテーブルの前で、”立て膝で
座りたばこを吸ってられました。”という 女将さん談でした。”無相荘”は
写真でしか見たことないですが、ここ 似ている感じする〝田舎家〟みたいでした。
久しぶりに、京都に撮影の為来られたピーターと食したサプライズ日でした。

2009年01月27日

小樽 蔵群

小樽 蔵群

2009年01月27日

小樽は雪

久しぶりに 小樽に行きました。週末の寒気が小樽にも
影響してこのような大雪。札幌を通り過ぎた時は、晴れの
良いお天気なのに30分走るとこんなにも気候が違うのかと
驚きました。北の冬の海の波の荒さに厳しさを感じそこで
サーフィンをしている姿にも男性の世界を見ました。
サーフィンて夏のスポーツではないのを初めて知りました。
旅館は〝蔵群〟19室ののんびりした旅館。従業員は40歳以下。
という、若者の仕切。担当者は、中国からきたと言う朝鮮民族の方。
勿論 日本語は完璧。北京語と韓国語も話せる万能な女性でした。
客室はメゾネット フラット 2階部屋と様々タイプ。お好みで選べる
楽しい旅館。私はリピータ。毎回違う雰囲気が味わえるクリエイテイブ
な旅館です。飲み物 食べ物全て宿泊代込みです。但し、高い物飲み物は
ありません。

2009年01月22日

ドバイタワー

ドバイ世界一タワー

毎年企画している旅行会 今年は〝ドバイ〟でした。
昨年 初めて行ったときは お隣に〝神田うのさんご夫妻〟だったのですが、
今回は ツアーとあってさすがにパプニングはありません。でも、バブル絶頂期と
はじけた後の違いを目の当たりにしました。
中国人 韓国人と満員御礼の団体で賑わっていましたが、今回は見かける
機会が少なく、現地から韓国のガイドさんは引き上げた。と、聞きました。
日本で報道されるような〝クレーン止まった〟と言うような事は全部ではなく
一部止まった所もありました。〝ドバイタワー〟780mに決定したようです。
雷が落ちた。と言う事もあり、少し低くなったのでしょうか?興味あります。

2009年01月17日

井上流 初寄り

初寄り

お正月〝松の内〟も明け、祇園は通常通りの営業に戻って
います。茶道や華道の初釜 初生けのように井上流の舞にも
〝初寄り〟という儀式があります。5世家元井上八千代お家元の
〝初寄り〟は1/13日に行われますが、小さいお師匠さんがたの
〝初寄り〟が今日行われました。私も久しぶりに出席をしました。
お師匠さん 名取りは黒紋付きを着て、まだ、若い方達はお振り袖や
訪問着を着ます。お師匠さんと差し向かい〝おめでとうさんどす〟と言って、
お盃をします。緊張の一瞬です。その後は、ずらーと並んで、お席に着き
半月のお弁当を頂きます。そして、〝初舞〟を披露します。そして福引き!
楽しいお正月の行事です。

2009年01月13日

サンフランシスコから訃報

今日 シスコから訃報が届きました。私が、芸妓現役時代半年間
語学留学していた場所です。
Nobu Hillの1本隣の通りbush stのお寿司屋さん〝すし萬〟のご主人が
不慮の事故で亡くなられたとの報。
知人に調べて貰うと、昼間 文房具店の駐車場でナイフで切られ即死。
犯人の犯行目的は不明。奥様と15歳の息子さんが残されました。
27年前、写楽のような写真を看板に〝MR テリヤキ〟と言う鉄板焼き
のお店が、突然に〝すし萬〟に変わりお寿司屋さんになりました。
立ち寄って見ましたところ、気の良いご主人と気が合い、今でもSFに行くたび
お店に伺っていました。
第2の故郷のSF、親戚のようなご家族でした当時まだ、独身だった吉岡さんは、
JALの客室乗務員の美しい奥様とご結婚され、お子さまをもうけられました。
まだ、15歳の息子さん。
59歳という若さで 無念の死を迎えられた吉岡さん。オーパスワンが好きでしたね。
毎回 チーズとチョコとワインをおみやげに下さったRYOさん。壁の向かう側でも好きな
ゴルフとワイン談義をして、楽しんでくださいませ。さようなら。        合掌

2009年01月12日

祇園の お地蔵さん

町内お地蔵さん